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小さなカトリック信徒のブログ

知恵3・1-6、9 神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない

死者の日 祝日

知恵3・1-6、9

神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない

知恵の書

3・1神に従う人の魂は神の手で守られ、
もはやいかなる責め苦も受けることはない。

2愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り
この世からの旅立ちは災い、
3自分たちからの離別は破滅に見えた。
ところが彼らは平和のうちにいる
4人間の目には懲らしめを受けたように見えても、
不滅への大いなる希望が彼らにはある。
5わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る
神が彼らを試し、
御自分にふさわしい者と判断されたからである。
6るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、
焼き尽くすいけにえの献げ物として受け入れられた

9主に依り頼む人は真理を悟り、
信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。

主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、
主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。

 

死者の日 祝日

諸聖人を昨日祝った私たちは、今日、神に仕えて亡くなったすべての人を思い起こし、死者のための祈りを共にします。地上の「生」を超えたいのちに、私たちの心を開かせてくれるのが今日の典礼です。

死者のための祈りが典礼の中に現れたのは、3世紀のはじめ、カルタゴにおいてです。しかし、死者のために祈る習慣は、初期キリスト教の時代からあり、4世紀には東方教会に、8世紀には西方教会において、ミサの奉献文に取り入れられるようになりました。現在の「死者の日」の起源は、998年にフランスのベネディクト会クリュニー修道院において、11月2日を帰天したすべての信徒のための記念日と定めたことによります。そして、この習慣は、だんだんと教会全体に広まっていきました。

教会は、死者のために祈ることにより、生きている人だけでなく、亡くなった人をも含む、交わりの共同体であるという考えを深めてきました。

この世を去った人々のために祈りながら、私たちは、死者の中から「復活された御子キリストに従う私たちの信仰を強め、死者の復活を待つ私たちの希望を不動のものとしてください」と祈ります。

今日の典礼をとおして、教会のこの心を味わっていきましょう。

亡くなった人のために祈る日の中心は、いつもと同じキリストの死と復活の秘義です。
 日本の教会では、日本社会にキリスト教本来の希望にみちた死生観と、祖先崇拝に福音の息吹をという心遣いから、『祖先と死者についてのカトリックの手引き』が出されています。
 この本は、葬儀やお墓のことで戸惑いや疑問を抱いたことのある方に答えてくれます。

祈り

恵み豊かな神よ、
復活された御子キリストに従うわたしたちの信仰を強め、
死者の復活を待つわたしたちの希望を不動のものとしてください。
   集会祈願より

パウロ女子修道会(女子パウロ会)より転載