今日は主の洗礼の日の月曜日です。以下の記事を書いたのが土曜日でしたのでもう2日過ぎてしまいましたが、せっかくなので、聖霊の助けを借りて、ちゃんと終わらせようと思いました。聖霊の導きがありますように。
今日の福音はマタイの福音3章13節から17節ですから、福音記者のことばも多少違っています。
マタイ3・13-17
アレルヤ、アレルヤ。天が開いて父の声が響いた。「これは私の愛する子、彼に聞け。」アレルヤ、アレルヤ。
では、ここから、土曜日の記事に続きます。
洗礼者ヨハネの祝日は、明日の公現祭の次の日の月曜日になっていますが、今日の福音ではもう洗礼者ヨハネの登場になっています。イエスさまはヨルダン川で従兄のヨハネによって洗礼を授かります。
ヨハネの福音書1・29‐34 神の子羊では、このような御言葉です。
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
そして、今日のマタイの福音書では、イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。という御言葉です。
その方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、〝霊〟はこのことを証しする方です。〝霊〟は真理だからです。証しするのは三者で、〝霊〟と水と血です。この三者は一致しています。
つまりこの箇所が、先の洗礼者ヨハネによるイエスさまの受洗を使徒ヨハネがさらに詳しく説いてくれているのだと思います。水は洗礼、血はご受難、そしてそれを証する真理の方、聖霊です。
わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。
そしてこの9節からがヨハネの手紙が他の福音と違うところです。
愛する皆さん、だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、〝霊〟はこのことを証しする方です。〝霊〟は真理だからです。証しするのは三者で、〝霊〟と水と血です。この三者は一致しています。
わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。
聖霊によって書き終えることができました。神に感謝