ソバニイルカラ

小さなカトリック信徒のブログ

使徒ヨハネの手紙1、5・14-15 について自分勝手な思い

今日の第一朗読を読むとワクワクとしてきます。この福音はイエスさまを愛してイエスさまの御心に適うことを願うなら、何でも聞いてくださるという福音です。とても完璧ではないですか?ひとつも疑いなく心底お願いをしたら、適えてくださるというのです。イエスさまの御心は、兄弟姉妹を愛する、隣人を愛すること、すべて「愛する」ことだけです。それ以上それ以外にありません。愛をもってお願いすればよいとヨハネはこの手紙で言っているのではないですか。人によっては本当に適えてくださるのだろうかとか普段の癖で疑うことが少しでもあれば、イエスさまは適えてくれないのでしょう。それはヨハネが「これが神に対するわたしたちの確信です」と言うことから分かります。つまりわたしたちは神さまを疑うことがあってはならないからです。「願ったことがすでに適っている」ということばは、まさにその通りです。適えて頂きたいことを目の前にイメージして、それがすでに手に入ったようにイメージしなさいということでしょう。漠然としたイメージでは、適えていただけない、まさにわたしが手に入って喜んでいるさまをイメージしなさいと教えてくださっているのだと思います。それも神さまを愛し、信じる。つまり愛をもって確信すれば、心からの願いは適うのだということです。

使徒ヨハネの手紙1、5・14-15

愛する皆さん、何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。

神に感謝