ソバニイルカラ

小さなカトリック信徒のブログ

ヨハネによる福音2・1-11について自分勝手な思い

この記事も土曜日に書いた途中で終わっていました。主の公現の前日の記事なのでどうやって書けばよいか苦心してます。聖霊のお導きがあり最後まで書くことができますように。

きょうの第二朗読は初めてイエスさまが人前で、こっそりでしたが奇蹟(栄光を現わす)を行いました。2世紀終わりに使徒トマスが書いたと言われる「トマスによるイエスの幼時物語」では、小さな子供の頃(5才から12才まで)から、とんでもなく奇蹟を行っていたというエピソードが出てきます。イエスさまは小さな頃から、いろいろな奇蹟を行っていたようで、すでに屋根から落ちて死んでしまった子を生き返らせることもできたと書いてあります。

そこでやっと本題の今日の福音に戻ると、イエスさまはお母さまのマリアさまに、「ぶどう酒がなくなりました」と言われます。どうしてマリアさまは、わざわざこんなことをイエスさまに言わなくてはいけないのだろうと思うのです。これはマリアさまはすでにイエスさまが子どもの頃からいろいろな奇蹟を行ってきているので、「ぶどう酒を出してみたら?」という誘いだっただろうか?と想像します。でもイエスさまは、マリアさまの申し出を一蹴しようとします。

お2人の会話で、御受難の時も含めて必ずマリアさまを婦人よと言いますね。(ヘブライ語翻訳の英語ではwomanと書いてあります。)イエスさまは、聖霊によってマリアさまが身籠られたので、マリアさまをお母さまとは思っていなかったのだろうか、またお父さまのヨセフさまをどう呼んでいたのだろうと。なぜか知りたいところです。天のお父さまをアバと呼ぶほどなのですが。。。また話が逸れました。

それでもどういうわけか、イエスさまは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」と返答します。でもマリアさまはそこを逃さず、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言うわけです。マリアさまはとっくにイエスさまが奇蹟を行うことを知っていましたから、こう頼んだのではないでしょうか。イエスさまは、この後の活動からみても、婚礼で飲んでしまったぶどう酒を6つの水がめの最高のぶどう酒に変えてしまうなんてことはしません。それこそたくさんの人たちを癒しはしても、プライベートに最高のぶどう酒を作るなんて話はもう出てきません。そういう意味でか、イエスさまは、「わたしの時はまだ来ていません」とお応えになりました。お母さまのマリアさまは、子どもの頃からのイエスさまの奇蹟の行いを知っていますから、ぶどう酒が無いから出すようにとただ頼んだのだと思います。でもつい数日前に洗礼者ヨハネから洗礼を授かり、天が裂け聖霊が降って、主の御子である宣言された30才になるイエスさまはもうそんなプライベートなことで奇蹟を行おうとは考えていなかったのではないかと思います。でもここでヨハネが書きたかったのは、きっといっしょに婚礼の席に連れてきた、まだ三日目のご自分の使徒4人に初めての奇蹟を現わし、まず最初にイエスさまを信じるように導いたのだと思うのです。

 

ヨハネによる福音2・1-11

そのとき、2・1ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」5しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。6そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。7イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。8イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。9世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

聖霊に助けていただき、最後まで書くことができました。いつも自分ひとりではできません。 神に感謝